2006年03月30日

通巻第25号

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『三島由紀夫の総合研究』 
    三島由紀夫研究会 メルマガ会報
       平成18年3月30日(木曜日) 通巻第25号
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◇三島由紀夫映画祭2006 決定!!◇
 期間 4月8日(土)〜5月12日(金)
キネカ大森(電話3762−6000)
大森駅東口「西友」五楷
「潮騒」「長すぎた春」「炎上」「からっ風野郎」「剣」「肉体の学校」「愛の乾き」「複雑な彼」「音楽」などを連日上映。プログラムは同上映画館へ直接お問い合わせ下さい!

既報のようにパリのルーブル美術館で『憂国』が41年振りに公開された。三島ファンは、「愛と死の究極の美が凝縮された神話」「映画空間の演出が完ぺき」と絶賛した。

◎トークショー
4/9(日) 17:30より 映画『憂国』とは!
ゲスト:映画評論家 佐藤忠男 
ホスト:映画『憂国』プロデューサー藤井浩明

4/15(土) 17:30より 『憂国』の制作スタッフが語る
ゲスト:『憂国』美術監督 間野重雄
ホスト:映画『憂国』プロデューサー藤井浩明

4/23(日) 18:30より 『肉体の学校』を語る
ゲスト:『肉体の学校』映画監督 木下亮

5/2(火) 18:30より 三島作品を語る
ゲスト:映画監督 行定 勲
ホスト:『春の雪』企画映画プロデューサー藤井浩明

5/6(土) 18:30より 三島原作の市川雷蔵主演作を語る!
ゲスト:『炎上』『剣』プロデューサー藤井浩明
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◎読者より 
映画「憂国」がリリースされます。新宿でみた「武山信二中尉と妻麗子」のあの映像です。全篇にワーグナーのトリスタンの「愛の死」が。当時、日本公開前に三島さんは、ある対談の中で以下の様に述べられています。(出典は1966年4月号の雑誌『シナリオ』)。。

【以下引用部分】
(問)原作に大変感動したんですが、映像でもって原作にあるものを表現する時、もどかしさみたいなものはお感じになりませんか?
(三島)それは、ご覧になったあなたの批評的な見方も勿論おありでしょうし、それと僕の考えとが、別方向なように思うんです。つまりあなたのお考えの中で、あの字のイメージを絵にすると、ここが無理だ、あそこが無理だというふうにきっとお感じになったに違いないと思うんです。ところがぼくは自分で書いた作品ですから、また逆の見方があるんです。というのは、字というものはいつも抽象作用を通して頭の中に入ってくる、そこでイメージがひろがる、そして山とか空とかという言葉にわれわれは詩的イマジネーションを用いるわけでしょ。ですから抽象作用を通したものの利点というのは、ひとつの生のものを抽象作用によってイメージをひろげる作用がありますね。
小説を読む場合はいつもそういう作用で読んでいるわけですよね。ところが、ぼくは今度はイメージを絵でフィックスするんだから、そのフィックスする場所はどこかというと、字よりも後のものではなく、字より前のものというのがぼくの考えなんです。というのは、現実は貧しいものであるかもしれないが、さらに生のものであり、さらに生なものの本質の中にもっとドロドロしたものがいっぱい入っている筈だ、そして字は一度抽象化によって、われわれに伝えるんだが、その前の段階に戻したいという気があったんですよ。だから、原作を脚色するんじゃなくて、その原作を元に戻してみよう。原作をぼくの潜在意識なり、大きなことを言えば日本人のもっと普遍的な潜在意識の中に戻してみたい。そして、その映像からみんなが何かを感じてくれるのではないか、その映像のショックの中から今日の平和的な時代に忘れているものとか、われわれの一番奥底に動いているエロスと政治との関係の必然性とかを逆に感じてくれるのではないか。とにかく前にひとつ戻そうという考え方です」【以上引用部分】

 三島さんの原作、制作、脚色、監督、主演を通じたみごとな『映画論』を話されたものと思えますが、その内容は現下のわが国に欠けているものを示されている様に思うのは小生だけでしょうか。
本作品はツール国際短篇映画祭に出品された333本中から、選び抜かれた40本の1作としてコンペティションに入り、残念ながらグラン・プリを次点で逸しました。尚、三島さんの出演映画は、「からっ風野郎」と「人斬り」と本作の三作品のみです。
  (坂上時人)
       ☆
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(詩)
・・・日本人よ ありがとう・・・

かつて 日本人は
清らかで美しかった
かつて 日本人は
親切でこころ豊かだった
アジアの国の誰にでも
自分のことのように
一生懸命尽くしてくれた

何千万人もの 人の中には
少しは 変な人もいたし
おこりんぼや わがままな人もいた
自分の考えを おしつけて
いばってばかりいる人だって
いなかったわけじゃない

でも その頃の日本人は
そんな少しの いやなことや
不愉快さを超えて
おおらかで まじめで
希望に満ちて明るかった

戦後の日本人は
自分たち日本人のことを
悪者だと思い込まされた
学校でも ジャーナリズムも
そうだとしか教えなかったから
まじめに
自分たちの父祖や先輩は
悪いことばかりした残酷無情な
ひどい人たちだったと
思っているようだ

だから アジアの国に行ったら
ひたすら ペコペコあやまって
私たちは
そんなことはいたしませんと
言えばよいと思っている

そのくせ 経済力がついてきて
技術力が向上してくると
自分の国や自分までが
えらいと思うようになってきて
うわべや 口先では
済まなかった悪かったと言いながら
ひとりよがりの
自分本位の えらそうな態度をする
そんな
今の日本人が 心配だ

本当に どうなっちまったんだろう
日本人は
そんなはずじゃなかったのに
本当の日本人を
知っているわたしたちは
今は いつも 歯がゆくて
くやしい思いがする

自分のことや
自分の会社の利益ばかり考えて
こせこせと
身勝手な行動ばかりしている
ヒョロヒョロの日本人は
これが本当の日本人だろうか

自分たちだけで 集まっては
自分たちだけの 楽しみや
ぜいたくに ふけりながら
自分がお世話になって住んでいる
自分の会社が仕事をしている
その国と 国民のことを
さげすんだ眼でみたり
バカにしたりする

こんな 人たちと
本当に仲良くしてゆけるだろうか
どうして
どうして日本人は
こんなになってしまったんだ

 『日本人よありがとう』(土生良樹著・日本教育新聞社刊)序文にある
 マレーシア元上院議員ラジャー・ダト・ノンチック氏の詩より。

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2006年03月29日

通巻第24号

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『三島由紀夫の総合研究』 
    三島由紀夫研究会 メルマガ会報
       平成18年3月29日(水曜日) 通巻第24号
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(文学散歩 その五)
 
 三島由紀夫の現場に立つ
宮崎正弘


 『奔馬』で飯沼勲が割腹した想像上の現場
   伊豆のポンカン畑の向こうに青い海がひろがっていた


 このところ伊豆から鎌倉にかけて立て続けて出かけた。
 小旅行が目的でも温泉目当てでもグルメを探す粋な話でもない。
 じつは三島論の第三作目を予定しているのだが、『三島由紀夫の現場』(仮題)を長年にかけて取材している。
これが存外と難儀な作業なのである。
 
『現場』などと言っても「事件現場」ではなく、作品の舞台となった場所を特定して訪ね歩き、いかなる風を感じ、臭いを嗅いで、三島がそれらの情景を克明に描写したのか、一番の興味があるからだ。
 
ところが海外を含めて主要な作品の舞台を再訪するという無謀な企画のためギリシアからインド、ラオスなどを走り回っているうちに三十五年(!)を閲し、さて国内の舞台訪問はといえば、外国取材の後回しにしてきたため肝心の場所の特定が遅れたためである。

特筆しておきたいのは『奔馬』での最終場面、すなわち飯沼勲が自決する伊豆のミカン畑がほぼ特定されたことである。
 ただし自決現場などと言っても、フィクション上の、架空の現場であり、実際の事件はなかったわけだから、「瞼にかくやくとして日輪があがった」と描かれた場所は想像力を働かせて特定する必要がある。

 腐敗した財閥を暗殺した飯沼勲が、この伊豆の絶壁で自刃する場所は、やはりそれらしい場所だった。
 この架空の「現場」のモデル地を教えて呉れたのは池田一亀氏で、その場所を聞くや否やわたしの足は伊豆山の稲村へと向かっていた。

 伊豆山の興亜観音の近くに稲村という集落がある。熱海駅からバスも出ている。タクシーでも二十分ほど。別荘地帯で山の手に旧国道、海岸に沿って熱海ビーチ・ラインが走る。その間隙の岩壁を縫うように見晴らしの良さを求めた瀟洒な会社の保養施設や別荘が断崖にさざめくように建っている。集落のなかには一時三島が別荘を構えたこともあった。
 周囲にはミカン畑(伊豆ポンカン)、そして青い海と伊豆の風。わたしはしばし現場に呆然と立って、ひたすら風の臭いを嗅いだのだった。

 さて遺作『豊饒の海』全四巻の冒頭に始まる恋愛物語は映画にもなった『春の雪』。
 主人公の松枝清顕の父親の別荘のモデルは、元前田伯爵邸でいまの鎌倉文学館である。
 この文学館は文字通り「鎌倉文士」を中心に鎌倉で創作活動をおこなった川端康成、小林秀雄、大佛次郎、里見敦、林房雄、中村光夫、中山義秀、高浜虚子、久保田万太郎、近年の作家では立原正秋、渋澤龍彦などの文学の業績を振り返り、記念的な書斎、蔵書などを展示している。

 平成十八年二月の或る日、筆者は作家の中村彰彦と連れだって鎌倉へ出かけた。
林房雄が存命中は毎月二回は鎌倉へ行っていた身なのだが、没後二十年以上にもなるとなかなかお墓参りにも行けない。ちなみに林の墓は竹寺で有名な報国寺境内にある。
 『春の雪』では松枝清顕の父の別邸として描かれた洋館である。タイの皇子達とつれだって海水浴をしたときにほくろを本多繁邦が発見する重要なシーンが描かれる。

 鎌倉文学館の現在の入り口は多くの作家の顔写真が立て看板のように並び林房雄の奥が若き日の三島由紀夫。芝生の歩道を越えてトンネルをくぐると文学館の正門が現れる。
 古式ゆかしい佇まい、大正から昭和初期へタイムスリップしたような錯覚にとらわれる。
 前田家第十五代の前田利嗣が明治二十三年に土地を入手して和風建築の館を建てたが、明治四十三年に火事に見舞われて焼失した。(『豊饒の海』でも別荘が焼ける事件が起きているのも、これがヒントだったのかも知れない)。
 その後、当時の最先端建築の洋館として再建され、第十六代当主の前田利為が昭和十一年に全面改築している。これが現在まで残って、昭和五十八年いらい、鎌倉文学館となったのだ。

 『春の雪』は次のように叙述する。
 「青葉に包まれた迂路を登りつくしたところに、別荘の大きな石組の門があらわれる。王魔詰の詩の題名をとって号した『終南別業』という字が門柱に刻まれている。(中略)先代が建てた茅葺きの家は数年前に焼亡し、現伯爵はただちにそのあとへ和洋折衷の、十二の客室のある邸を建て、テラスから南へ開く庭全体を西洋風の庭園に改めた。南面するテラスからは、正面に大島がはるかに見え、噴火の火は夜空の遠い篝になった」(新潮文庫版231ページ)。

 現場にたつと、まさしくこの情景そっくりなのである。三島の情景描写の正確さ、その緻密さは定評のあるところだが、カメラにおさめたように正確な様は、あらゆる現場に立って確認できる。『潮騒』も『金閣寺』も。
 庭には「楓、榊、茶の木、檜葉、沈丁花、満天星、木こく、松、柘植、槇などをぎっしり植え込み、刈り込んだ庭の斜面」、「わけても美しいのは夕映えだった」。

 昭和58年、即ち三島がモデルとして描いた後に、前田別邸は鎌倉市に寄贈された。
 入ってみて驚いたのは、これは古河庭園(春の雪にでてくる東京の松枝邸のモデル)のミニチア版ではないか、という思いだった。
 おそらく旧前田邸の敷地の多くを売却したのであろう、広大なはずの庭園は縮小されて池はなく、古河庭園にある滝も、農園もない。艶やかさのない、静寂の拡がる空間である。
 松枝家本邸として三島が選んだ舞台は古川庭園で、池あり、中之島あり、滝ありの名園。清彰と聡子との恋愛の舞台もここであり、清彰が青春を送り、懊悩し、もがき、また本多と遊んだ庭も、ここである(古河庭園は都内北区の滝野川にあり、巣鴨駅から歩いて十五分ほど)。

 ほかにも『獣の戯れ』の黄金岬やら、『剣』の田子港やら、三島の初期から中期にかけての作品舞台が伊豆とその周辺に集中していることに改めて気付くこの頃である。

(この稿は『月刊日本』四月号より転載しました)。
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三島研究会も「協賛」する行事です!
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「鄭南榕先生を偲ぶ集い」
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 「台湾の三島事件」と呼ばれる出来事は、烈士・鄭南榕の自決事件です。
 国民党の独裁時代に、外省人でありながら深く台湾独立に共鳴し奔走し、ついには官憲に取り囲まれての籠城線の果て焼身自決。その壮烈な魂は多くの人士に衝撃をあたえた。
 この烈士を讃える催しが下記の要領で日本でも取りおこなわれます。どなたでもご参加出来ます。
           記
と き  平成18年4月1日(土)午後2時30分〜5時30分(二時会場)
ところ  文京区民センター3F(文京区本郷4-15-14  TEL:03-3814-6731(文京シビックセンターの斜向。都営地下鉄:三田線・大江戸線「春日駅」徒歩1分、東京メトロ:丸ノ内線・南北線「後楽園駅」徒歩3分、JR総武中央線「水道橋駅」徒歩10分)

プログラム  主催者挨拶、来賓挨拶、祭電披露、祭文奏上、献花
講 演    黄文雄先生(評論家、拓殖大学日本文化研究所客員教授)
       「国士・鄭南榕の自焚の意味するもの」
       宮崎正弘先生(作家、評論家)
       「鄭南榕と三島由紀夫について」
参加費    おひとり 1000円
懇親会    同会場にて、午後5時30分〜7時30分(懇親会費別途2000円)
主 催    鄭南榕顕彰会(日台交流教育会、日本李登輝友の会、台湾研究フォーラム)
協 賛    三島由紀夫研究会
後 援    在日台湾同郷会、在日台湾婦女会、台湾独立建国聯盟日本本部、日本台湾医師連合、怡友会
           ★ ☆ ☆ ★
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「建国烈士・鄭南榕」とは如何なる人物か

 4月1日に都内で開催される第2回「台湾建国烈士 鄭南榕先生を偲ぶ集い」の案内をしたところ、「鄭南榕とはどんな人か」「どのような目的で集会を行うのか」といった問合せがありました。
 そこで下のとおり昨年の第1回の会場で読み上げられた「祭文」を紹介し、説明に代えたいと思います。当日は一人でも多くの方が参加してくれるようお願いいたします。
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祭文

本日ここ日本東京の私学会館において、台湾建国烈士・鄭南榕先生を偲ぶ会を執り行うに当たり、鄭南榕先生の御霊に対し奉り、参列者を代表して追悼、敬慕の誠を捧げます。
 鄭南榕先生は昭和二十二年九月十二日、宜蘭県において父鄭木森氏、母謝恵女史の長男として生を享けられました。長じて同四十七年、葉菊蘭夫人と結ばれて一女竹梅さんをもうけ、幸福な家庭を築かれるも、その台湾魂は中国国民党の不条理極まりない苛酷な台湾支配を許さず、白色テロの横行する戒厳令下の同五十九年、自由時代社を創設して週刊誌『自由時代』を発行し、誰しも語るも憚る蒋介石・経国一族及び中国国民党政権の暗黒腐敗政治の実態を白日の下に晒すなど、正義の言論闘争を展開し、毎号の如く受ける発禁処分、絶えず蒙る生命への脅迫にも断じて怯むことなく、台湾独立の理念を宣布し続けられ
ました。
 またこの間、同六十一年には政党結成の禁止を顧みず、台湾民主党の発足準備に着手して民主進歩党結成の基礎を築くとともに、五・一九緑色運動を主導して、戒厳令の解除を要求する初の大規模集会を敢行し、その後、中国国民党の謀略による八ヶ月間の下獄を経た同六十二年二月、二・二八和平日促進会を結成し、初めて公の場で二・二八事件を論じてその真相究明を訴え、四月にはやはり初めて公開の場で台湾独立の主張を明確に打ち出し、同六十三年、総統府包囲デモ計画を立案して四・一九総統府包囲事件のきっかけを作り、同年十一月には台湾新国家和平運動の指導者の一人として遊説し、全土の民衆に台湾独立を訴え、次いで十二月、『自由時代』において許世楷・台湾独立建国聯盟総本部主席起草の「台湾共和国憲法草案」を掲載して、国内の憲法論議を沸騰させるなど、捨て身の実践行動を以って中国国民党支配体制を大いに揺がされました。
 その後、鄭南榕先生は「台湾共和国憲法草案」掲載の科で、高等検察庁から反乱罪の容疑を掛けられるも、「言論の自由」を強く主張して出頭命令を拒否し、平成元年一月二十七日より自由時代社に立て籠り、「国民党が逮捕できるのは私の屍だけである」との烈々たる闘志を示し、抵抗七十一日目に当たる四月七日午前九時五分、逮捕強行のため出動した警官隊に包囲される中、終に自らの体にガソリンをかけて火を放ち、見事焼身自決を遂げられました。
 この壮絶なる一挙は、長年の恐怖政治に怯え、萎縮しきった台湾人民を覚醒し、激励し、感奮させ、そしてその事により、台湾の民主化、自由化が大きく推進され、独立建国の礎が固められたことは、誰も否定することのできない台湾史上における一大真実であります。
 台湾を友の国、兄弟の国として心より親しむ我々日本人有志は、鄭南榕先生をこの国の民族の英雄として仰ぎつつ、その身を以って示された不撓不屈の偉大なる台湾魂をここに顕彰し、その御精神が台湾人民においてよく継承せられ、台湾の独立建国が一日も早く達成されることを祈念するとともに、我々もまたそれを鏡として日本の国家再建に邁進し、日台共栄、そして両国一体によるアジアの平和確立を目指すことを誓うものであります。
 在天の御霊、我々の微衷を了とせられ、御加護を垂れ賜らん事を畏みて申し上げます。   
平成十七年四月六日
      (台湾研究フォーラム会長 永山英樹)
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2006年03月27日

通巻第23号

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『三島由紀夫の総合研究』 
    三島由紀夫研究会 メルマガ会報
       平成18年3月27日(月曜日) 通巻第23号
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◎トピックス

(1)映画「憂国」試写会。
フランスでは日本より早く試写会が行われて盛況だった。
日本でも3月17日に関係者を招いた試写会があった。DVDは、東宝から4月に発売予定(6800円)。

(2)『WILL』五月号
26日発売の五月号巻末に堤堯氏(元文藝春秋編集長)が三島論を連載中です。
今回は森田必勝との出逢いと、そのつづきで、中村彰彦「烈士と呼ばれる男」などからの引用もあり、なかでも森田の愛唱歌が、カルメン・マキの「ときには母のない子のように」と菅原洋一の「今日でお別れ」だったことなどの逸話が紹介されています。


◎読者より
 「福島次郎氏の訃報掲載の際、気になる点がありましたので僭越ながらご連絡申し上げます。記載にありました作品名は「剣と寒椿」ではなく『剣と寒紅』です。
 初出は平成10年4月号の『文学界』で、第2章までの300枚が発表され、3、4章を加え同年に刊行されたものです。
   (TS生、大田区)
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(書評のページ)

 哲学的論理から眺めた三島由紀夫の生涯

    伊藤勝彦『最後のロマンティーク 三島由紀夫』(新曜社)


 伊藤勝彦氏は東大で哲学を専攻され、多くの大学で教え、森有正やヴァレリーに関しての幾つかの論文を書かれた。学生時代に哲学論の試作をものにされたときに、三島由紀夫と知り合った。
哲学議論と「愛」をテーマにした、この学究の徒は、思惟するという観点から三島の全生涯、その思想を時系列に体系的に捉え直す。
 氏が昭和42年に上梓した『愛の思想』には三島由紀夫が序文を寄せたことがあり、また氏は三島との『対談 思想の発生』という単行本も世に問うておられる。
 伊藤さんは哲学者としての次元で三島を捉えるゆえ過去に出た幾多の文芸評論と本書は、まことに異なり、深い思考のあととユニークな持ち味が醸し出されている。
三島は「哲学者とみまごうばかりの論理性を持った人であった。彼の死もゾルレンsollenn(あるべき)の死であり、ザインsein(ある)の死ではなかった。あるがままの彼の心はつねに死ぬことを欲していなかった」とする文章で第一章の「哲学者の三島由紀夫論」が始まる。
 だから「最後の自決を『おぞましい“殉教”への性的陶酔の死と解釈する方向へ導いていく』等とするジョン・ネイスンは「間違った考え」と伊藤氏は断定する。
 三島にとっての「戦後」とはまがまがしき時代であり、退屈で、つまらない時代であったが、それは後智慧としての分析でしかなく、同時代を生きた人々にとっては、それなりの器量でしか三島をおもんばかることはなかったであろう。
 三島は『私の遍歴時代』のなかで次のように明瞭に書き遺している。
 「二十歳の私は、自分を何とでも夢想することが出来た。薄命の天才とも、日本の美的伝統の最後の若者とも。デカダンのなかのデカダン。頽唐期の最後の皇帝とも。それから、美の特攻隊とも」。
 (そういえば評者は、この文章を高校生のときに読んだ記憶が甦る)。
 伊藤勝彦氏は、この文章に拘り、次の解析を展開される。
 「敗戦の瞬間とともに、これらの甘美な幻想はことごとくうち破られ、おそろしく平板な日常的時間がはじまる。二十歳で死ぬはずだった自分が便々と無為の時間をいき(中略)身の回りには、かつての栄光ある死、悲劇的死は片鱗さえも見あたらない。」
 戦後の日本は価値紊乱、乱世、そして伝統は省みられず、三島流の比喩で言えば、「まがまがしい挫折の時代」(『林房雄論』)となるわけである。
 したがって三島由紀夫は、
 「時代に対する悪意をあらわにし、反現実的、反時代的な作品をつぎつぎのものにしていくということだけが戦後世界に繋がりをもつことができる唯一の方法であった。(中略)軽蔑あるいは憎悪という対峙の仕方において現実の自己との間の距離を固定しておくことによってのみ、安んじて戦後世界との『軽薄な交際』に入っていくことが出来たのである」(本書34p)。
 その時代の三島はいくばくかの軽薄さを身につけた希有の流行作家であり、しかも「からっ風野郎」などの映画にもでて、文学を離れても活躍した。時代の寵児だった。
 三島は昭和三十年代後半から「危険な思想家」と批判されるようになるのだが、
「世間からもっとも警戒され、蛇蝎視されるような存在になることが彼の夢であった。もっとも気にくわないのは、その恐るべき危険思想が三島美学なる安全無害な領域の中に閉じこめられてしまうことだった」と伊藤氏は書く。
 (なるほど、哲学的次元で三島思想を解析すると、こういうことになるのか)。
 三島の自決、三島の死への疾走の謎は、哲学的に解剖されると次のようになる。
 すなわち悠久の大義など時代錯誤的観念に対してではなく、ましてやそうした「観念が虚妄に過ぎないことを、あの醒めきった眼が見逃すはずがない。三島はゾルレンを持続して持っていたが、それは「大義の思想」からきたものではない、と伊藤氏は冷静に、しかし大胆なことを言われる。
 「ゾルレンの論理は、あくまで、彼の特異な観念世界の内的論理から、つまり気質から必然的に導き出されたのである。彼が死んだのはもちろん、江藤淳のいうような『造形された三島由紀夫という役柄』を果たすためなどではない。彼が思想に殉じて死のうと欲したのは、あくまで本気であった。しかし何に対して本気であったかといえば、それは決して『悠久の大義』などに対してではなかった。本気というのは“大義のために死ななければならない”という論理に対する忠実ということで、そのゾルレンの論理というのは、彼の深層において育まれた、きわめて特異な内的論理」(本書50p)とされる。
 蛇足ながら本書あとがきには伊藤氏に出講していただいた三島研究会公開講座のことや、拙著からの引用もある。
 思想レベルに徹底している特異な作品であり、論理の徹底、論理の追求。まことにロジカルな分析の三島論ではあった。
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(これは「宮崎正弘の国際ニュース早読み」平成18年3月27日号より転載です)。
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 第223回 三島由紀夫研究会「公開講座」

 竹本忠雄「ミシマとパリと」
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 パリ在住の竹本忠雄氏は、嘗てアンドレ・マルローの友人として主要作品の翻訳も担当、長かった在仏評論生活をいったん切り上げて帰国。筑波大学で教鞭を執った。
 同時に旺盛な評論生活を再開し、フランス人の三島事件への衝撃と評価をまとめた『パリ憂国忌』は評判になった。
 再びパリへ移住し、コラム、翻訳、評論などの活動を開始し、とりわけ浅薄で人種偏見に満ちた「反日」報道に狂奔するフランスの反日的ジャーナリズムに単独で斬り込み、日本イメージの誤解を解くことに挺身されてきた。
この度は久しぶりの帰国、思いの丈を語って頂くことになりました。ふるってご参加下さい。
               記
と き         4月21日(金曜日)午後六時半(六時開場)
ところ         市ヶ谷「アルカディア市ヶ谷」四階
講師          竹本忠雄(評論家、筑波大学名誉教授)
演題          「ミシマとパリと」(仮題)
会費          おひとり2000円(会場分担金として)
            どなたでも参加できます。
(なお、講座終了後、恒例の懇親会はありません) 
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メルマガだけの読者には、上記特典はありません。ご海容のほどを。
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